
そこで、貸金業法とともに消費者金融業界の歴史を振り返ってみましょう。
<目次>
貸し付けが10年間で4分の1に激減!
先日、時事通信に「消費者金融の貸し付けが10年間で、4分の1に激減した」という記事が載っていました。
ひとつの法律によって、大きく転換した消費者金融業界。貸金業法は時代とともに、どのように変わっていったのでしょう。
【1983年】「貸金業規制法」が誕生!
「サラリーマン金融」とも呼ばれていた消費者金融が次々に誕生したのは、1960年代からのことです。
それまでは、お金が必要なときは質屋を利用するのが一般的でしたが、高度成長期を迎えたことによって古いものには価値がないと見なされ、質屋を利用する人が激減。質屋のかわりに消費者金融が生まれました。
当時は法的な規制がほとんどない状態で、高金利による貸し付けや悪質な業者による過酷な取り立てが問題になりました。そのため「サラ金地獄」という言葉も生まれたほどです。
<出資法の上限金利>
●1983年:109.5% → 73.0%
●1986年:73.0% → 54.75%
貸金業規制法ができた1983年といえば、東京ディズニーランドの開園や、任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)が発売されたりと、日本経済は安定成長のなかにありました。日本全体が新しいことや楽しいことに熱心で、消費意欲が旺盛な時代だったといえるでしょう。
【1990年代】不死鳥のように蘇った消費者金融!
貸金業規制法の成立によって、消費者金融業界はいっときダメージを受けました。中小企業では淘汰が進み、貸金業者数は激減しました。
ところが、1990年代に入ってからさらなる飛躍を遂げることになります。それが、無人契約機の登場です。無人契約機によって借り入れがしやすくなったことに加え、それまで自粛していたテレビCMも続々と流れるようになりました。
<出資法の上限金利>
●1991年:54.75% → 40.004%
1990年代といえば「失われた10年」と呼ばれ、日本経済が低迷した時代です。バブル景気が終わり、経済不況となり、金融機関など多くの企業が倒産しました。
大学を出ても就職できない「就職氷河期」もこの時代のことです。それでも、消費者金融業界は順調でした。というのも、不景気だからこそお金が必要な利用者が増えたからです。それを裏付けるように、長者番付には消費者金融の経営者が何人もランクインしました。
【2000年代】波瀾と苦難の時代の到来!
2000年には、上限金利が29.2%まで引き下げられました。この背景には、前年の商工ローン問題があります。中小企業向けに融資をしていた貸金業者の過剰な貸し付けと過酷な取り立てが大きく報道されたのです。
<出資法の上限金利>
●2000年:40.004% → 29.2%
かつて109.5%だった出資法の上限金利は29.2%まで引き下げられましたが、複数の借り入れがある人にとっては、返済するのが追いつかない状況でした。
【2006年】改正貸金業法が公布!
2006年、ついに改正貸金業が公布されました。「グレーゾーン金利」という言葉がクローズアップされたのも同じ2006年です。
ところが、裁判によってグレーゾーン金利は認めないという判決が出たため、過払い金返還請求が相次ぎます。

【2010年】改正貸金業法が完全施行!新時代の幕開けか?
<出資法の上限金利>
●2010年:29.2% → 20%
完全施行によって、年収の3分の1までしか借りられない「総量規制」が設けられました。さらに過払い金返還請求が続出したことによって、消費者金融業界は淘汰の時代を迎えました。倒産する中小企業が相次ぎ、大手企業は生き残りを賭けて銀行傘下に入るなど、業界図は大きく塗り替えられたといっていいでしょう。
【現在】消費者金融業界に新しい風は吹くか!?
改正貸金業法の完全施行から6年が過ぎたいまも、過払い金返還請求の動きは続いています。

一見、落ち着いたように見える消費者金融業界ですが、この先もまだまだ動きはありそうです。
■2017年、キャッシングに新たな規制の可能性!?
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