有限会社武富士商事が、「株式会社武富士」に改組

1974年12月1日

最初、武富士創業者である武井保雄の個人事業であった「富士商事」は、会社法人である「有限会社武富士商事」、そして「株式会社武富士」と名前を変え、順調に業績を伸ばしていった。
消費者金融は「団地金融」や「勤め人信用貸し」という名称で当初は呼ばれていたが、月給生活者(サラリーマン)階層が日本社会で増大していくにつれ、1970年代以降は「サラリーマン金融(サラ金)」という呼称が一般化していった。サラ金はその需要が好景気とあいまって増大したことにより、業績を確実に伸ばしていた。
当初の消費者金融は、電話で融資の申し込みを受けた後に消費者金融会社の社員が契約関連書類と現金を申込者の自宅まで届けるのが一般的であった。消費者金融会社としても申込者の居住地と本人確認を行う審査ができた上に、申込者の利便性も高かった。その為、店舗から車やオートバイなどで、外回りを行える範囲に営業も限定されていたので、初期の消費者金融は地域に密着した「範囲の経済」に分類されるビジネスモデルであった。
しかし、需要が増すにつれ配送型サービスは人件費などの圧迫を招くこととなり、次第に消費者金融は店舗に顧客が来店する「店舗型」のビジネスモデルへと変化していった。

 

参考:消費者研究市場の研究 P37-38

武富士の詳細はこちら