浜田武雄が旧レイクの前身となる消費者金融業株式会社パーソナル・リースを設立

1964年1月1日

●浜田が消費者金融業を創業した理由
浜田の父親は、炭鉱事業で一時かなり成功していたが、石油や原子力を主とする代替エネルギーへの転換により事業に失敗。親が借金返済に苦しむ姿を見て、浜田は”自分は人を活かす金貸し”になることを決意した。
しかし、当時の浜田にはまとまった原資を作る方法は無かったため、まず自衛隊に入隊。勤務中、その収入の全てを貯金して4年間で300万円の資金を貯めた。休日や休憩時間は、金融経済に関する書籍を読み、独学で庶民のための金融哲学を培った。
自衛隊を除隊した後は、東京の金融業者で実務を学び、1964年、25歳という若さで大阪の曽根崎新地にレイクの前身となる株式会社パーソナルリースを設立した。

 

●パーソナルリースの創業初期
1960年代半ばの日本は高度経済成長期に入り、人々の生活は以前よりも豊かなものとなったが、サラリーマンが自分のために自由に使うことのできる小遣いを捻出する余裕は家計にはまだなかった。
しかしながら、銀行を始めとした当時の金融機関には消費のためのお金を庶民に融資するという発想がそもそも存在せず、浜田は「サラリーマンに一番活力があるのに、彼らがお金を借りるところがないのはおかしい。サラリーマンに活力を持たせるために事業を成長させる」という思いのもと、消費者金融業を展開していった。
パーソナルリースが最初に出店した大阪の曽根崎新地は、歓楽街というだけでなく、近くには新聞社や広告代理店、ローカル放送局の支局といったマスコミ関係の会社が多くあり、浜田は彼らマスコミ関係のサラリーマンに向けて、「現金出前します」というチラシの配布を開始した。そうして、客から融資依頼の電話が入ると、真っ赤に塗った90ccバイクに乗って、客の指定の場所まで現金を届けた。
この時期、他の消費者金融会社は客の勤務先の安定性を何よりも重視し、大手企業の社員や公務員といった職に融資を絞り込んでいたが、パーソナルリースの顧客の8割はマスコミ関係者であった。マスコミ関係者は仕事関連の飲食や接待費の立替えが多い反面、サイドビジネスでの副収入が期待できるので、結果として返済能力が高いためである。
また、浜田は社員に対して「明日の米を買う金は貸すな」と指導し、あくまで生活の余裕資金のニーズに対して融資を行い、サラリーマンがポジティブな目的のために使用するお金を貸すという姿勢を一貫して徹底した。
 

※パーソナルリースの当時の金利
1回の融資額の平均は1万5000円程度。貸出上限金利は、年利109.5%。
現在の常識から考えると決して低くない金利に思えるが、サラリーマンがどこからも短期・小口のお金を借りることができなかったこの時代、無担保・無保証、簡単な審査で使途自由の現金を即座に用立てできた当時の消費者金融業は画期的なサービスであるとして、人気は上々だった。
 

●困難な資金調達
顧客による借入のニーズはあっても、当時の消費者金融業は現在でいうところのベンチャービジネスであったため、銀行から資金調達のために融資を受けることは容易ではなかった。そのため、当時の消費者金融会社は、自社の手持ち資金で足りない分は特定の個人から年24~30%という比較的高い金利で借りることで調達していた。

 

 

参考:理解されないビジネスモデル 消費者金融業 P14-16,41

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