日本アソシエイツ・ファイナンシャル・サービス、第1号店がオープン

1979年4月1日

日本については、曾祖父の生まれた国という情報以外、何も知らなかったホリエ氏であったが、日本進出の話は順調に進み、東京西新橋に日本アソシエイツ・ファイナンシャル・サービス第1号店をオープンした。
開店初日には60人以上の客が来店し、好調なスタートを切ったかに思われた。

 

●外資系消費者金融の日本進出への道のり
「黒船来航」とも呼ばれた、アメリカの消費者金融による日本進出は、いわゆる”サラ金批判”が激しく叫ばれた1977年(昭和52年)に始まる。
先陣を切って上陸したのは、アメリカの消費者金融業界で当時第3位であったアブコ・ファイナンス・サービス(日本法人は日本アブコ・ファイナンス・サービス)である。
その後、ジャパン・ハワイ・ファイナンス、日本セキュリティ・パシフィック・ファイナンスなどが続き、1980年(昭和55年)3月までに、11社が日本へ進出した。
1979年の日本アソシエイツ・ファイナンシャル・サービス(後のアイク)の日本進出は、この中では最も遅かった。

 

当初、これら外資系企業の進出は、日本の消費者金融業界から非常に大きな脅威であると捉えられていた。
その要因の1つとして、日本進出を果たした各社が、世界的な大企業グループの一員であったことが挙げられる。
例えば、日本アブコや日本セキュリティ・パシフィック・ファイナンスには、それぞれチェーンマンハッタン銀行、セキュリティ・パシフィック・ナショナル銀行という大手銀行がバックについており、豊富で巨大な資金力があった。
そのために、貸出金利を圧倒的に低くすることが可能であった。

 

それまで日本政府は、外国の金融機関に対して100%子会社の設立を認めないという規制を行っていたが、この規制が解かれたことを皮切りに、続々と子会社設立を開始した。
ただしこの時、100%子会社設立の条件として出されたのが、貸出金利の上限を年48%にすることであった。
しかし、低い貸出金利に設定しているため、外資系消費者金融各社は顧客の選別を厳しくせざるを得ない。
その上、最初の5~6年は国内業者の反対で全情連傘下の信用情報機関に参加できず、店舗での面接に時間をかける以外に審査をする手段がなかったため、結果として、顧客の反発へと繋がってしまった。
参考
理解されないビジネスモデル消費者金融 P90-92